諸々所感

ネタバレ少なめ考え重め

リメンバー・ミー

 

  家族か夢か

 

 

音楽のために家族を捨てたひいひいおじいちゃんのようになってはいけないと、音楽と関わることを一切禁止されているミゲルの家系は代々靴職人で、先祖を大切に祭って大勢の家族で仲良く暮らしている。ミゲルも靴職人になることが求められていたが、彼の夢は伝説のミュージシャン、エルネスト・デラクレスのようになることだった。死者の日に街で開かれる音楽コンテストに出場するため、ギターを手に入れようと墓から盗んだことでミゲルは死者の国に迷い込んでしまう。人間の世界に戻るためには家族の許しが必要だったが、死者の世界で出会ったミゲルの家族も音楽嫌いで受け入れてもらえない。それならばと、ミゲルはひいひいおじいちゃんを探しに行く。

 

 

音楽のために家族を捨てたひいひいおじいちゃんを憎む一族は、音楽は家族と両立できないと思っている。音楽や夢は家族を不幸にするものだ、と。なにが幸せかということは個人の価値観によるもので一概には言えないが、家族みんなで安定した生活を送ることを幸せというならば、音楽や夢は必要ない。収入を得られる職業と、家と、食事とがあれば十分で、夢なんて寝て見るだけでいい。夢を叶えて職業にすると考える人もいるかもしれないが、それができるのはほんの一握りで、できたとしてもいつ失脚するかわからない不安定さからは抜け出せない。夢をみて、それを追いかけることは安定した家族生活を捨てることと同義だ。音楽や夢が家族を不幸にするというのは理解できるし、理解しなければならない。良くも悪くも、それほど夢を追うことのハードルは高い。どれだけ機械化が進んでも、どれだけ働き方が多様化しても、表現を職業とするには特別な才能が必要なのだろうか。他の動物にはできないことだからこそ、人間の表現はどんな理由にも邪魔されないでほしい。

 

 

ただ、家族には2つの方向がある。映画のなかでは同じものとして描かれていたことが終始気になったが、生まれた家族と生み出す家族は性質が全く異なる。子供として生まれる家族は選べない上に、不可抗力でありとあらゆる影響をうける、そして多くの人に生まれた時から存在している。一方で、結婚し子供を出産してつくる家族は自らの意思ですべてを決めることができる。結婚するか、誰とするか、子供を作るか、何人作るか、決定するのも責任を負うのも自分自身である。

 

映画の中でひいひいおじいちゃんが不幸にしたのは生み出した家族だ。夢のために妻と幼い子供を置いて出て行った。自らの決定に責任を果たせなかったという点でひいひいおじいちゃんは責められても仕方がない。しかし、決定したのはひいひいおじいちゃんだけではない。その妻はひいひいおじいちゃんが音楽を生業としていたことを知っていて、それも込みで結婚している。夢を追う人との結婚に安定した家族生活を望むことは間違っていないだろうか。そもそも、結婚の目的を安定した家族生活とするならば、夢追い人と結婚する意味はない。ただ、人間の感情や本能はわからないので夢追い人と結婚することもあるだろうし、結婚によって夢追い人が夢を捨てる可能性もある。捨ててしまったことによって、世に出なかった芸術や言葉がたくさんあると思うと悔しくて歯がゆい。

 

一方で、ミゲルが夢と天秤にかけているのは生まれた家族だ。夢が生まれた家族を不幸にするかどうかは微妙なところだと思う。親が子供になにを望むかに大きく左右される。仕送りをして孫の顔を見せてほしいと思うのか、安定してなくとも好きなことをやってほしいと思うのか、前者であれば夢が家族を不幸にするが、後者であればそうではない。子供の人数や、年齢等の状況によって変動するだろうし、はっきりと前者と後者に分かれない場合も多いはずなので、「夢は生まれた家族を不幸にする可能性がある」としか言えない。不幸にしないために夢を捨てるというのは少しコスパが悪い気がする。ただ、夢を選んでも親は自分に好きなことをやってほしいのだと驕らずに、申し訳なさや後ろめたさと付き合ってパワーに変えていったら、もう少し喜んでくれるかもしれない。

 

 

「家族か夢か」ということはこの映画のキーワードの1つかもしれないが、すべてではないと思う。それでも人生を考える上で必要な観点に違いない。自分の中では結論が出ていても、人や状況によって答えは違うかもしれない。もしかしたら両方を獲るほどのパワーがなければいけないというメッセージかもしれない。また、音楽や夢は家族を不幸にするかもしれないが、見知らぬ誰かを救う可能性があることを忘れてはいけない。そしてその人にしかできないからこそ、誰でも気軽に夢を追えるようになったらいい。

 

 

追記

序盤にトイストーリーと関係が深いものを見つけました!

・ミゲルの前を通り過ぎる車の3台目がピザプラネットの車

・ミゲルが広場に向かう時、道でバスとウッディの風船が売られていた